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2012-03-11

大震災から一年後

昼飯に、寿司を買った。
スーパーのパック寿司だったが、夫と二人で食べた。
海で亡くなった東北の大勢の方々はもとより、恐らくは放射性物質で多く死んだ魚や大量廃棄された魚たちへのせめてもの供養として。
葬式では寿司を出す。分かってか、今日のパック寿司のトレイは黒地に菊の花のあしらいだった。

震災から一年が経つ。
一年前(正しくは十一ヶ月前)の自分の生々しい記事を見て、今はどのように回復したかを振り返ってみる。
あの当時の電車は、乗っている人々の目が死んでいた。元気なくしかし苛立っているのは、テレビの震災番組の視聴疲れだろうというのは分かる。
節電のため本数が減り、日替わりで乗れる駅も時間帯も変わる満員電車。早起きして二駅向こうまで歩いて行ったこともある。空気中や上水道のセシウムの含有量が大きく報道される中、休むことを許さない多くの企業。電車の中の人々は「社畜」という言葉を噛みしめつつ、モーとかヒヒーンとか言いださぬように俯いていた。
わけのわからない買占めも流行った。最初はカップラーメンやパン、水、その他災害グッズ。品薄になったので、3月後半は牛乳や乳製品も制限が出た。一時はこれは海外で中国の話だが、なぜか塩が品薄になったそうだ。
そんな中で、「今が売り時」と随分勘違いした自称アーティストや売れない芸能人のパフォーマンスも目立った。
ただその中でちゃんとした活動をした芸能人として今私が覚えているのは、杉良太郎(この方は普段からボランティア活動をしているらしい)、石原軍団(阪神淡路のときもかなり活躍したらしい)、それからエガちゃんこと江頭2:50のトラックでの援助物資届け(ウィキペディアを参照されたい、リンクは控える)。
三者に共通するのは、にわか震災援助組ではないということと、ブレのない活動であるということだ。普段から困った人への姿勢をどうするかを考えている人は、何よりも身体が先に動く。子供でも分かる当たり前のことながら、改めてその事実を感じ入った次第である。
犬や猫の問題も、新聞の社会欄で大きく取りざたされた。阪神淡路の頃はあまり大きく取り上げられなかったが、家畜が多い地域であることと、やはり田舎なのでペットを飼うハードルが低いせいで愛玩動物を持つ家庭が多かったせいだろうと思われる。
しかし何よりも大きかったのは、これらの現場の人々に対する政府と東京電力の冷淡さであろうか。いったいどっちを向いて復興支援を唱えているのか私には全く分からなかったし、その後の調べで福一の爆発は防げたという論説を目にしてからは、原発の問題は純粋に人災ではないだろうかと思うようになった。
そういった、悲劇と、人々の温かさと、復興への期待と、政府不信などがない交ぜになって情報社会を行き来しており、当時の私は非常な疲れを覚えていたのだと思う。

震源地近辺の東北と直接の縁のない一般市民から見た風景あるいは光景はそういったものである。
西日本在住の親や姉からは「こっちくればいいのに。こっちなんの問題もないよ」と平然とした口調で言われたものである。しかしその話を夫にしたところ、「なんでそんなバカなことを考えるのか、どこにも移住する必要なんてない」と反発を受け、ああ、この人は東京の人なんだなあといろんな意味で思ったことだった。
こんな小さなことは、どこの家でもあったように思える。
しかし、東北に親戚や実家、また知人や友人のある人は、どれだけの思いで日々を過ごしていたのだろうか、と胸が痛くなる。急に行方不明になって連絡が取れなくなった、海辺の近い家に住む知人友人、漁船に乗せてもらったこともあるおじいちゃん、連休には遊びにおいでと誘ってくれたメル友。どんな気持ちで毎日を送っていたのだろうか。

それから一年後。
電車は平常運転に戻り、街中では、物資で品不足になっているものはゼロである。テレビ番組も震災報道関連はだいぶ減り、ネットでも笑いが戻ってきた。遅々として進まぬ復興責任が政府或いは行政にあることはだいぶ騒がれ、八月から九月はデモが頻繁に起こったのも記憶に新しい。大阪では地方政党である維新の会が台頭した。日本は震災のダメージを受けてはいるが、曲がりなりにも立ち直ろうとしている。
ただ、いまひとつそれが軌道に乗らないのは、「奪われたくない」という漠然とした恐れが国民の間に浸透しているからではないだろうか。震災後の変わり果てた生活に耐えられず、せっかく助かった命を自ら絶ってしまった女性の話などは、それを如実に表している。
臆病であることを落ち着いていること、勇気を出すことを蛮勇と覚える国民性ではあるが、そろそろ、意思をはっきり内外に知らしめて、誰に向けているか分からない妙な演技などはやめるべきではないかと私は思うのだが、どうだろうか。

今の時期は東京でもまだ雪は降るし、風もまだ冷たい。花粉症で辛い人もいるだろうし、季節の変わり目で調子が優れない人もいるだろうと思う。
ただ、この日、或いはこの日からそう遠くない日に亡くなった見知らぬ多くの人々を偲んで、今日はこの記事を書くことにした。
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theme : 東北地方太平洋沖地震
genre : ニュース

2012-03-03

ツイッターは村社会

ツイッターを始めて2年くらいになるが、今のところそのツイッターでよい隣人に出会えたことはない。
どうやら、文芸であるとか文学であるとかの趣味を持つ人々は、あの場所ではビジネスライクなつきあいのオプションとしてか、もしくはブログの延長上のカタコトを呟く場としてしか見ていない気がする。

自分の名前で登録するのを2年も控えているのは、その様子を見守るという理由だ。ブログに手を染めるのも、プロバイダがサービスを開始してから何年も経ってからだった。

140文字で表されるカタコト(呟きどころじゃなくカタコトだろうなと私は思っている)に芸術性を求める人も確かにいるだろう。
しかし短歌や俳句、或いは非常に小さな詩としてならともかく、小説はちょっと難しいんじゃないかな、と思っていたら、案の定あまり創作に熱心でない人たちが「これこそが真の創作である」と鼻息を荒げている様子を多く見て、こんなことは言いたくもないがとても嫌になったこともあった。

小説を書いている人はある種のバランス感覚が大事だと私は常々思っている。
ある程度の年齢になって気がついたことだが、自分の頭の良さ、知識量を顕示したいために小説に手をつける人が小説執筆が好きな人には結構いる。こういう人々は確かに学歴や知能が高く、いろんなことを知っている。だから恐らく楽しいのであろう。
しかしそこで「恐らく」と仮定の言葉を使うのは、私が今まできちんと会って話した方々にはそういうタイプの人がほぼゼロだからである。勿論きちんとした学歴をお持ちで、実際の知識も豊富な方もいらっしゃるのだが、こんな方は実際の創作物にそれを嫌味なほど顕示するようなことはない。
たとえある程度書いていても、それはストーリーの展開のために必要な内容だ。
「世界の中心で、愛をさけぶ」というベストセラー小説があるが、これは作者の大量の知識を動員したことにより、読者の評に耐えた。ストーリーはその後隆盛を極めたケータイ小説と同じような展開で貧弱である、と評する文学好きもいたし、私の感想もそれに近い。
ストーリーに説得力を持たせるための知識は確かに必要だが、知識の顕示のために小説を書くようになってはならない、と私は思う。中には知識を得るために小説を読むという方もいるのだろうが、私がそういう読み方をするのは主に旧時代の古典などを読んで当時の世俗や人々の考え方を知るがためにそうするのであって、所謂娯楽的な読み方をするのなら、やはり分かりやすく面白いもののほうがよいように思える(じゃあお前はラノベだけ読んでろよ、と詰られそうだが、笑。無論、ラノベにも数は少ないけれども各年齢層の評に耐えうるいい作品はある)。
しかし、ただの知識顕示欲のために小説を書いている人が、そこで話を戻すがツイッターを使うとどうなるか。
文面から既にナルシシズムが漂ってきて、対話どころか絶句せざるを得なくなるのである。
無論、人嫌いで誰にも絡まれたくないのならその手もありだろうが、質問したいことも出来なくさせてしまう空気を作るのは、創作者としてどうかと思ってしまう。
私はどうも、そういう人種が苦手である。こちらからフォローをしても、いずれ外さざるを得なくなる。


そんなわけで、私はこのブログではツイッター連動は避けることにする。ツイッターは人の目を気にせぬごく個人的なミニブログだと割り切って使う人のほうが、いい楽しみ方が出来ているようにも見える。

ツイッターを使っていていつも思うことは、あそこはでっかい田舎だなあということ。噂話大好きの田舎では、有名人の誰かと誰かのケンカも娯楽。そして炎上も娯楽。場本来の娯楽の少なさを表しているということだ。
そんな田舎で少しでも楽しくやっていくためには、信頼できるリアルの友人たちとともに鍵をかけて小さなコミュニティに篭るか、他人のあらゆる干渉を様々な手段で以って振り払い自己を涼しい顔で保つか、どちらかしかないような気がする。

theme : Twitter
genre : コンピュータ

プロフィール

Chiduru.Y.

Author:Chiduru.Y.
小説を書いています。
しばらく更新が途絶えていましたが、また肩の力を抜きつつぼちぼち書いていこうと思います。

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