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2013-01-14

雪の成人式

今日は成人式だそうで。新成人の方々、おめでとうございます。
さて、私もよく考えたらきっかり20年前に成人の日を迎えたのだった。学生で下宿先の成人式は出席しなかったが、当時はバブル真っ盛りということもあって随分派手な格好をしたお嬢さんたちが町内を練り歩いていたことだけは記憶に残っている。
しかしあれから20年経って、大人20歳の私はこれまで何が出来ただろうか、と首をかしげているのも確かなのだ。

大人になると、自分の生活のある部分は時間が止まる。先日、洗濯ハンガーが壊れた。そのハンガーは私が故郷を出て一人暮らしを始めたときから使っていた家財道具の最古参のひとつだったのだが、デザインが古くて今ではもう同じ型のものは売っていない。しかし私や主人はそれを当たり前のように愛用し続けた。20年も。
20年続く年賀状の相手は、ほんの数えるほどしかいないのも、私の引越し癖とつきあいの悪さを物語っている。それも多分、20年前から変わらない。

本当のところをいうと問題は、時間の止まった20年を愛せるか、愛せないかということだ。
自分をまだ愛せなければ、多分自信のないまま私は流れていくことなのだろうし、こういった変わらないものが増えれば、自分に確固たる自信があるということなのだろう。

けれども、実績を煩くいう人々も世の中には確かに存在する。彼らは私や主人の使っていた壊れたハンガーとの20年のつきあいを考えない。愛用し続けている何気ないものの価値を考えない。「今」どんな肩書きを持ち、「今」どれだけカネを稼げて、「今」どんな高級で羨ましげな暮らしをしているかしか考えない。

私がこんな主張をすると、ある種の人々がネットスラング言うところの「アップを始める」状態になるのは知っている。そして無名で無力である私はそのある種の人々のしっぽをふんづかまえることも、ざわめきを制止することも出来ない。
本音は、生活のための少額の金が必要ではあるが、それ以上は特に必要でない。20年前の生活をしていても私個人は構わないわけだ。けれども、そんなふうに守りに入ってしまうと、おかしなものでこの世の中は豊かさがそんな人間を舐めくさるようにできている。だから表面上は「お金欲しい」と唱えざるを得ないのだ。

そんなこともあり、私の20年は、果たして何が出来ただろうかとやはり首をかしげてしまうのだ。
就職氷河期? ゼロ成長時代? 失われた20年? ああ、そういうのも確かにあるだろう。しかし個人の人間的成長には厳密に言えば金銭的豊かさはあまり関係がないのだ。それどころか、不況不況言いながらも新卒者の初任給は上がり続け、きちんとした企業に就職した人々はもはや私の年齢の者が中途でどこかに採用されても、私たち以上の給料を頂くことになっている。食文化も20年前とは比べ物にならない。
それに海外の珍しく比較的貴重な食材がどれだけ日本に流れ込んできているだろうか。20年前は乾燥ポルチーニすらなかなか手に入らず、シイタケをミートソースのレシピに加えている料理本もあるくらいだった。

そこから考えるに、どうも今の自分は、自分の予想していた未来とはかけ離れた生活をしているように思えてならない。ただ別に今のままでもいいのだが、さあお変わりなさい、と言われれば、それはそれで時期なのかもしれない、と思わざるを得ない心持ちでもいる。買う予定でなかったマンガ本を出来心で買って思いがけず嵌まり、それに突然飽きて古本屋に売り払った遠い昔のあの日のように。

これからの20年を、私はどう生きるのだろう。だが、どう生きても私の人生は私だけのものだから、あまり後悔はしたくない。
壊れたハンガーは回収の日を待って、まだ台所の隅に転がっている。
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theme : 今日の出来事
genre : ライフ

2013-01-01

明けまして

旧年中はお世話になりました。
今年も宜しくお願いします。

ブログってのは、誰に向けて言ってるか分からない個人的な綴りなわけで、そのねじれをどう解釈するかでセンスが別れるのだと思う。
一応、元旦の覚えとして書いているわけなのだけれども、ご覧になっている読者さんがやはり(なんとなく)いらっしゃるようなので、一言言うなれば本年喪中でございます。ネットに散在する自分のSNSアカウントはいくつか休みをいただいているわけなんだけれども、元旦は暇ということもあって、夕方には荒れた人も毎年のように出てくる。それを避ける意味でも、こうしたやけに静かなブログに篭っているのは正解だとも思う。

で、前回の内容からどうなったかと言うと実はまだ結論は出ていないのだが、去年は大小四つの公募に挑戦したわけで、少なくともこの四つというのは、私の生活ペースでは過剰という結論が出た。
公募に関しては数年前から完成や投函の前後に不幸な現象が絡んできていて、電車内で気味の悪い二人組に絡まれてあわや大騒ぎになりかけたり、交通トラブルで不快極まりない損失を喰ったりした。そのため、こういった時期の前後は非常にピリピリとした気持ちで日常を送っているのが現状なのだが、ここに来て「そんな人生を送り続けて一体何になるのだろう」という疑問が沸いた。
「田舎の鼠と町の鼠」という童話がある。田舎に住む鼠の自宅に町に住まう友人の鼠が訪ねてくる。麦であったり穀物の種であったりする質素で地味な食事を振舞われて、友人の鼠は「町に行けばもっといい食べ物があるよ」と今度は自分の生活エリアに田舎の鼠を招くことにする。田舎の鼠が町に行けば、なるほど確かに今まで食べたことのないお菓子やチーズや肉などのご馳走がたくさんある。しかし、町の鼠たちはたくさんの人間の目を絶えず気にしているので落ち着いて食事もできない。だってそこは人間のたくさん出入りするパーティー会場や大きな厨房だったのだから。これにうんざりした田舎の鼠は友人の誘いを断り、故郷に帰ることに決める。
ある意味、私は田舎の鼠の気分がとてもよく分かる立場に立たされていたのだ。

町に住んでみて、その目に見えぬ不便さ、言葉に出来ぬストレスに直面し、「なぜこんなくだらないルールをクソ真面目に守らねばならぬのだろう」と嫌な気持ちになることが度々あった。町に生きているとは言っても、なんだかどこぞの過疎の村にでも強制的に住まわされているような気持ちにすらなっていたし、今でもまだそう思うことは多い。
イメージ職業のひとつである作家は、そんな個人的な諸問題は瑣末なこととして受け流す生き方を強いられる。涼しげな顔をしているが、それだけ彼らは自らの多くを犠牲にし、自らの多くの声を見殺しにされてきて、その悔しさを力に変えてきたのだろう。貪欲に、ただ、書き続けるために。

コスモス文学が解散し、私は無所属のアマチュア作家になった。いくつか気になった文芸同人もあったのだが、参加者が偉い人過ぎたり、年齢層が合わなかったり、人数が多すぎたりして、いまだ次に所属する文芸グループには出合えていない。
インターネットでの鍛錬プロジェクトにも半年ばかり参加してみたが、年齢がやはり上の方々ばかりで、自分が周囲の足を引っ張ってはいまいかというプレッシャーに耐え切れず、しばらくお休みをいただいている。
それでも、今まで書いてきたからには、書き続けなければならぬこともよく弁えている。私という人間は、書くことを諦めてしまったら本当に何にも残らないからだ。ただ、書くこと一本に絞りすぎると、いずれ世間でよくある「変人の文学バアサン」みたいな目で見られたり、頭のおかしい人呼ばわりされたりもしてしまう。だから私は非常に残念ながら、日常を放り出すことはできない。

小説に携わっていると、いやはやもう、そんなことを言ってくる無礼な輩が実に多い。彼らは多分、文学の楽しみ方を知らないのだな、と不幸な眼差しを送ることに決めているが、彼らは何を勘違いしたか、宝くじに当たったかのように喜んでその場を去る。
彼らは本当に幸せになったのだろうか? 一期一会の相手なので、そんなことは知らない。同情が欲しいだけなのかもしれないのだが。

参加する公募の数を今年は減らし、一人の時間を大事にしようと本年は思う。
同士に囲まれたきちんとした人間関係を築くには、私はまだ早すぎるような気がする。

theme : 年末年始、お正月
genre : ライフ

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Chiduru.Y.

Author:Chiduru.Y.
小説を書いています。
しばらく更新が途絶えていましたが、また肩の力を抜きつつぼちぼち書いていこうと思います。

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