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2015-05-31

まあ、田舎の山の風景



実家の裏にある山です。所有者はたぶん隣町の人かな、あまりよく知らない。
うちのニャンコの額ほどのちっぽけな山も撮影したかったんですが、今回はやめました。
(田舎は不便なせいもあり、土地が安く田畑山持ちが当たり前なので、相当な地主でもない限り何一つ自慢にならないのです)
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2015-05-31

GWに田舎に帰ってきました

東京には柚木の姓を持つ親戚はひとりもいないので、先のGWに九州の実家に帰ってきた。

冠婚葬祭以外で戻るのは実に結婚以来だから17年ぶりなのだが、結論としては帰ってよかったと思っている。
父方母方両家の墓参をして田舎風呂を浴び、小汚い東京に戻ってきたときは惨めさでいっぱいだったが(笑)。
東京は金さえあれば世田谷の一等地や目黒にもビルを建てることはとても簡単なのだが、田舎はそうでもない。そもそも土地に大した価値がない、というのは、去年土地に関する資格試験の勉強を少ししていたからまざまざと分かったことだ。さまざまな事情があり、勉強は勉強のまま終わりそうだが、最低限お役所の書類の見方程度は理解できるので何か今後役立てたいと思う。

本当に山しかない。あとはわずかな平地に田畑と、人気も車気もない道路程度と、目立つ数の空家と、かろうじて人が住んでいるようなわずかな住宅程度である。子供のころはトタンで覆うスタイルの茅葺の家もそれなりにあった。
つまり、私の実家のあるところは、過疎の進んだ田舎なのである。本物の。

ここは土地の9割以上が山林の、陰鬱とした緑に覆われた村である(町区分ではあるが、実質は多くの限界集落と老人介護施設を抱えた村である)。もちろん、子供や若い人たちの遊び場もない。皆口を揃えて言うからまず、間違いなく退屈な田舎である。若者は私でなくともどんどん出ていく。一部はやがて都会から戻るが、生家の煩わしさが皆嫌なのか、大抵は、車で一時間程度のところの「すこしとかい」な場所に家を構えたり、アパートやマンションを借りる。
したがって町内の子供の数は過疎の町らしく減少の一途を辿っていて独立した小学校ですら合併する。廃校というものは悲しいものだ(事実私は最終学歴校が消滅してしまっている)が、学校を作りすぎた都会やこんな過疎の田舎だけの問題かと思ったら、今は中小都市でも時々あるらしい。本当に少子化ってどうかならないものかなとは思う。それ以前に、今タイムリーに表示されている、「そろそろ独身じゃアレなんでとりあえず嫁さがしてください。」というネット広告さながらの問題もあるのだが。

ハコモノの真似事はあるが、老人の強い田舎のお役所の考えることと言ったら、……大体お察しの通りである。
こんな山奥から現在、人だらけの東京都練馬区に在住していて、我ながらよくこれだけの環境の変化に耐えられたものだと思う。若さゆえの無知って怖いですね、無敵ですね(笑)。

主人の反対を押し切って飛行機で田舎に帰ったのは、自分の精神状態が少し厳しくなってきたことと、まともに墓参りもいかないということには何か問題は出て気はすまいか、ということと二つある。さりとて現在付き合いのない兄弟とベタベタとなれ合う余裕はない。盆まで待ってもよかったのだが、どうも気持ちが落ち着かない。
桜開花の前、病に臥せっている父の具合を聞いたら、悪化していてよろしくないと言われ、まあ元気なうちにいろいろ言っておこうと思ったという娘としての気持ちの事情もある。
そんなわけで帰った。一人で。
いや、本当によく食べた(笑)。田舎から離れてから二十年、大分頑張ったが、母の手料理にはいまだにとても追いつけない。これは私のほかの兄弟も同じことである。料理上手な親を持つということは、幸せなことである。
九州独特の甘目の味付け(寒い地方の砂糖を多用する甘好みとは違い、塩辛くしない丸い味付けという意味での甘目である)の料理は自分の田舎育ちというルーツをしみじみと思い起こさせた。私の主人は生まれてこのかた東京から離れて生活したことはないのだが、私の料理に塩気を求める。というより、コロッケをソースで黒くする食べ方に私のほうが目を丸くしてしまったが、「こち亀」では両さんが同スタイルでおいしそうに頬張っているので、これはつまり、そういうことなんだろうと合点した。どこがいいとか悪いとかではなく、人間は子供のころの味覚が一生続くものなのである。
つまり私は料理が上手でない。

ただ、いろいろと興味深い話も聞いた。
今私が上で語った諸問題は、田舎では非常によくあることであり、「限界集落」「老人介護施設」「空家」「少子化」「教育施設の合併」は、文芸の世界でもよく話題に出される。本当に、田舎というところはコンテンツがとても少ないため、どうしてもこういった話題に頼るしかない。その退屈で楽しくない、暗く空しい話題の何百回もの強制ループは同時に、人々が全員で村そのものの口伝者たりえる古い土壌にも由来しているのだろうと思える。ただもう古いばっかりなんです、うちの田舎。
そういえば、安岡章太郎氏の随筆をいくつか読んでいてつくづく思ったが、昔の純文学作家はもう村社会であろうかと思えるほどに全員が知り合いという状態だった。デビューの状況はバラバラでも、出版社が盆暮れに催すパーティーでいやがおうにも顔突き合わせ、知り合いになってしまうのである。今は出版社の数も増え作家の数はもっと増え、昔のように律儀に華やかな場所に出席しなければならぬと考える人ばかりでもないだろうから、状況はだいぶ違っているようであるが。
ある種の村社会である純文学の社会は、今でもかなり厳格に守られて存在する。ただ、今は偽物とそれに騙された人も多く出回っており、それが恐ろしくて私はしばらくの間、小説と向き合うことができなかった。

あまり、現在の社会を構成する難しい問題に自分の言を加え置くことはおこがましく、私にはできない。ただ降りかかる火の粉は払わねばならぬし、己の頭の上のハエは追わねばならぬ。
精神的な問題の限界については、またいつか。

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theme : 史跡
genre : 学問・文化・芸術

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Chiduru.Y.

Author:Chiduru.Y.
小説を書いています。
しばらく更新が途絶えていましたが、また肩の力を抜きつつぼちぼち書いていこうと思います。

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