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2015-09-13

純文学の箱庭とそれに絡みつく嫉妬について

今年の夏、二つのニュースが文壇を駆け巡った。
一つは又吉イエス……否お笑い芸人の又吉氏の「火花」が芥川賞を受賞したこと。ご本人は芸人活動の片手間に書いた作品が受賞したことを隠さずに、今後とも芸人活動の合間に書いていくことを宣言しているとか、いないとか。
もう一つは昭和に名だたる少年犯罪としてお茶の間を震え上がらせた少年Aが手記を出版。手記は売れに売れ、この出版不況時に発売から二、三か月で二十五万部を記録したといわれている。彼はそれに飽き足らず、最近はホームページやブログまで開いて読者獲得に躍起になっているらしい。

文壇の決断と少年Aのナルシシズムは当然、ネット界でくすぶる文芸趣味のものにも、コンプレックス混じりに受け止められる。
「悔しい悔しい、ああ悔しい」と別段悔しくもなんともなさそうな人が棒読みでこの話題を何か月もやっているところを見ると、文芸の徒もなかなかに面倒くさい空気を吸って生きているのだなあと微妙な気分になる。
季節は秋になったので、そろそろ話題が村上春樹氏のノーベル賞受賞するかしないかに切り替わることだとは思うが、もはや他人ごととしか受け止められない。
むしろ、ネットのこういった醜聞や受賞に関する反応にちょっと飽きてきたというか「権力や富に対する嫉妬を隠さなくなった」下品さが、鼻についてきた、と言えないでもない。

この「権力や富への過剰な欲求」というのは、中間層が強いといわれる日本ではちょっとちぐはぐなものに見える。
少し前ワシントンで「1%の人々が富を独占し99%の人が貧しい生活を強いられている」という論理が感情的な声援でもって迎えられた。アメリカは日本より進んだ資本主義の国なのでさもありなんとも思うが、そうでなくとも世界の大半の国ではやはり、一部の人間が富や権力を独占し、その他大勢は貧しい生活を強いられているケースがあるのではないか。そして私には、インターネットの発展とともにそういった海外の「99%の貧しい人々」の目を日本のネット界が神経質に気にしているようにしか見えないのである。
無論、日本にも不況というものはあり、年齢層による不当な収入格差もいろいろと取沙汰されているのが現状といえば現状である。
しかしながら問題はそれだけではない。
例えば今の若者は少なくとも、知識だけなら過去のいかなる時代の若者よりも平均してさまざまなものを覚える機会に恵まれており、実際にかなりいろんなことを知っている。だから「権力や富への過剰な欲求」というのがどんな結果を引き起こすかよくよく知っているはずなのである。そんなものをむやみやたらに求めたら最後には自爆して潰える。
またある程度年のいったものも、年の功によりそれほど権力や富を望んではいないはずである。
しかし実際はだんだんと、この欲求が激しくなっているように思える。自分にそれを求める権利がないとはっきりわかったら、まだ可能性がある人間を潰そうと奔走するものも増えた。私も今までに何度か大きな被害にも遭っているし、今でも継続している部分もある。
そういう、嫌らしい人間が多くなってしまったのはどうもやはり海外の「99%の人々」の視線を気にしているからではないか、と私は思うのである。

文芸、とりわけ純文学というのはそちらに在籍するものには文化人としての側面もあり、ただでさえ人々からは羨望のまなざしで見られる。誰でも知っている純文学作家の新作ですら、10万部売れたら大ヒットと言われるほど市場が縮小しているのにも拘らず。
作家志望の人々がここ何年かでかなり増えているように見受けられる。大半は口だけ志望なのであり、小説など完成させることはおろか一文字も書いていないのだろうが、こんな具合だから名乗ることによって少し偉くなった人間のように見えるのかもしれない。「自分は作家になるほど頭がよく、才能に満ち溢れた選ばれた人間なんだぞ、本当は」と、そんな人は言いたいのであろう。
プロの実際の創作活動というものは、まじめにやればやるほどストレスがたまり、地味で、言いたいことが制限され、下げたくもない頭を下げ、泣き寝入りも多い「つまらない」仕事である、というのをほうぼうの作家が嘆いているのは、ネットをあちこち見ている人なら理解できることと思う。しかも作家と一口に言っても収入が高いのは一握り、名前が売れているのも一握りである。
私のように、アマチュアの段階でほうぼうで創作活動の妨害をされるような人間も少なくないと思う。妨害者にとっては私はおそらく彼らにとっての「何か」がないのだろうと思う。彼らの妨害行為の原動力は何かというと私には彼らが手にすることのない「権力や富への過剰な欲求」というのではないか、とも思うのだが、別段私は彼らが妬むほどそこまで大それた人間でもないし、どこでどのように私という人間の存在がゆがめられたのか、気になってはいる。いるけれども誰も責任を持って答えてくれないので、仕方なく無視を決め込むしかないのである。
まあいずれ、こういった我儘な人々も何らかの理解の果てに去るようにはなるのだろうし、そういった誤解が解けるまで、私はしばらく重たい荷物の多い純文学とは距離をおいた付き合いを心掛けるようにしている。このしばらくが、そのうちずっとになるかもしれぬ。分からん。いつか帰るとは宣言しているが、そのいつかはちょっと不明である。既に長編は休止に入ったし、煽られても今は書く気はありませんよ。理解するように。
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2015-09-13

最近の創作のお話

いまだ予断を許さなくはあるものの、どうやらもっとも厳しい状況は過ぎ去ったようなので、最近は好きなように書いている。
この何年間かは本当にしんどかった。理由は分からぬ。おかしな誤解がほうぼうに広がってしまい札付きと思われていた可能性はある。が、時々噂の流れていそうなところに顔を出し普段の私を見せていたら、それこそテロリストや食人鬼にでも対するような扱いはネット上でも減った。舐めた物言いをしてくるのはそれでも時々いるが、それはその人の問題であって、多分なんか可哀相な人なんだろうと思うようにしている。

こういうのはタイミングや時間も関係するので、バカの一つ覚えのようにいつでも同じように動いていては効果が薄い。
まじめに仕事をするとか、無理はしすぎないとか、何か目標を立てるとか、そんな地道なことをそれなりにこなしていくのが最も大事なのである。昔のえらーい人の言葉をトレースするだけにとどまるのが残念なことなのだけれども。

夏前に、創作について一つ思い切った決断をした。
その通りに動いていたら、こちらの方面色々と変わるだろうと。
実際は予想の6割弱にとどまっているが、何もしないよりやったほうがいいのも、またこれ事実だったりする。
なってはならない創作者も、いろいろと見てきた。
なりたい創作者も、これまた見てきた。
では、自分はなりたい方面に向けて頑張るだけなのではないか。

まあ漠然とした精神論になってしまったが、今のところはそんな感じだ。
プロフィール

Chiduru.Y.

Author:Chiduru.Y.
小説を書いています。
しばらく更新が途絶えていましたが、また肩の力を抜きつつぼちぼち書いていこうと思います。

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