--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2016-09-22

真夜中のプーアール茶

突然だが、仕事がない。

40過ぎて、突然仕事が不安定になった。女は年齢的な問題があって、民間企業では専門職や相当仕事に評価があるものを除いては、ある時期を過ぎるとこんなふうに職務グレードが下がる傾向にある。若者に多い、ワープアと言われる女性も多いのだと思う。
企業面接を受ける度に思う、「あなたにはご主人がいるのでしょう、ローンだって組んでないでしょう」と言わんばかりの面接官の態度。
そもそも専業主婦をやれるのなら、20年間も働いているわけがない。家人は専業主婦を認めないんだとやんわりと説明しても、へらへらと笑って聞かなかったふりをする。ああ、そういえば多くの企業の面接官は、私と年齢が近い。もうそんな年になってしまったのだと思う。
で、最近の私はもう一か月ばかり、夜にまったく眠れなくて困っている。一晩中寝返りを打ち続け、明け方散歩に行った後に「ハヤクハタラケ」と小言を言う家人を会社に追い出し、もうろうとした頭でシャワーを浴びて崩れるように暑苦しい布団に戻る。
そしてなぜかその時になって身体がまさに、寝とぼけた睡眠を要求するのだ。
何をやっても、この昼夜逆転が改善しない。40前から薄々寝つきのわるい傾向はあったが、それに加えて仕事に恵まれない状態が追い打ちをかけているのだと思う。
別段布団シーツの上をのたうっていても、完全にお目目ぱっちり元気溌剌というわけではない。疲労したまま何時間も意識だけさえているのだ。そんな私の寝姿は、昼寝をしている犬や猫に似ている。あの、「別に寝なくてもいいんだけれども何もやることがないから寝ているんだ」という、諦めたような眠り姿。
犬や猫はかわいくて好きだ。でも、人間ではない。
私は人間なのだ。

純文学から少し引いて、長年の課題であった分野を学んでいるのだが、よく分からないが全体に空気の抵抗が多いような気がする。
園芸趣味を始めた頃、通りすがりの子から何を思われたか「来ないで!」とヒステリックに喚かれたことはいい思い出だ(笑)。それと同じで、私は実のところ、自分が8月も後半にさしかかってから始めた夏休みの宿題を「お前なんて宿題を提出できるはずがない、だから(俺らと一緒に)先生に怒られてろよ劣等生」と詰られている気分なのだ。

ごめん、優等生のつもりはもちろんさらさらないけど、別に劣等生ってわけでもないんだ私。

とかいうと、昨今では突然切れたり笑いものにしたり、リアクションの忙しい方がよく目につく。まあ、その手のアピールをする方々は、私など放っておいてご自分の評価をもう少しばかりあげたほうがよろしいのではないか、と思う。
私は仕事が安定しないことが目下の課題で、彼らにかまっている余裕がない。そこで昼夜逆転と闘いつつ、限られた時間帯でメリハリをつけるようにやっているのだけれども、そこにすら干渉が入る。
「筆を折れ」という干渉だ。

アマチュアであれ、プロであれ、断筆をコールされるのはぞっとすることである。
断筆など、多少の教養のある人間なら赤の他人にはふつう言わない。ところが、なぜだかある種の人々はこの断筆命令を非常に軽々しく行うのだ。文芸に親しみのない家庭で育った人々なのだろうか、とも邪推したが、そうとも限らない気がする。
今の世の中は難しい。ネットでは軽蔑と怨嗟が満ちていて、基本的人権は名ばかりで人間の尊厳は守られない。臭いものには蓋をし、弱者の訴えはなかったことにされ、若者の間では「夢」は事実上の「夢」になりつつあり、逃げ場所を求めて電子空間を放浪する人々は膨れ上がっている。
「子供」という表記を「子ども」に、「障害者」という表記を「障がい者」にしろ、という主張が児童福祉のあたりから上がって久しいが、こういった問題はキーボードを扱う世代ではもはや時代遅れであり、アナグラム遊びで頭を半ばおかしくした若者に「辞書通りの意味で言葉を理解しろ」と言わなければ、日本語を使っているのに言葉も通じない(実際私も、あまりにひどい状態に人間関係そのものが不可能になった人々もいた)。
言葉をないがしろにするということは、こういった「タブー」「はばかり」を軽視するということである。
言葉は生き、常に形を変えるものなので、昔の法則を後生大事に押し付けるのはよろしくないという傾向があるのだが、それでは年々報告数の増える児童虐待や、「やまゆり園事件」などは、どう説明するのだろうか。表面だけ美しくしても、内情は変わらない。ならどうしてわざわざ表記を変えようとするのか。流転してよい言葉と変えてはいけない言葉とは明らかに別れるのではないか。その基準を考える文部科学省や学者先生など「えらいひと」が実のところ浮世では軽視されているから、むしろ、そうなってしまっているのではないか。

そんなとりとめもないことを、眠れぬ時間帯に、えんえん、考え続ける。
例えば福祉など公的文書に触れたりするときは私だって「子ども」「障がい者」と表記するのだろう。それがルールであり、場の尊重、マナーだからだ。
ただだからといって電脳社会を含めた今の荒れた創作世界の実情に蓋をすることは私にはできない。同時に、職業安定所に通うことも、執筆や勉強をつづけながらでも、やめることはできないのである。
スポンサーサイト
プロフィール

Chiduru.Y.

Author:Chiduru.Y.
小説を書いています。
しばらく更新が途絶えていましたが、また肩の力を抜きつつぼちぼち書いていこうと思います。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。