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2016-10-17

自分と向き合いすぎると死にたくなるよね。

実のところ、非常に困惑しているのである。

滅多なことが言えないのでここに書こうかどうか悩んだのだが、ちょっと自分としても危険な状態だと思ったので、息継ぎみたいな感覚で書くことにする。
んー、もしかしたら今の自分は生命の危機なのではないだろうか、という不安。
簡単に言うと、「死ぬんじゃないか」っていう不安なんですよ。どうもそういうのが出てきているらしいです。
というのは、ここ何日間か一人でえんえん考え込んでいて、書物も読んでいたりしたんだけど、どうも同じ結論にしかたどり着かないのですよ。そういうのは人に話すもんじゃないし、傾向の違う別ブログでは指の股が裂けても打ち込んではならない言葉なので、こういうルサンチマン上等のブログに移動してきたと。

あんまりオザケンとか、私の人生歴には関係ないのだけどね。
たまに、聴きたくなる。

何で死にかけているのか。よく分からない。多分、このまま生きていてもこのまんまなんじゃないかっていう失望しかないせいかとも思う。
衣食住は、今のところ普通に確保できている。家族もいるし、表面的にも私は興か不幸か非常に平和気な、人の好い容姿をしていて(別段美しいわけではないが)、こういう切羽詰まったことなんて周りには何億光年か先のことだと思われているに違いないという自信は、正直なところ、ある。


だが自分のできること、本来の能力を考えた場合、「このまま」をつづけるのは、ちょっとしんどすぎる気がする。
結婚生活が合わないのかもしれないし、東京という感傷的でせわしない街が合わないのかもしれない。下手をすれば日本という国が私には合わないのかもしれない。
でももし、「生きる」ということがそもそも私に合わないのだとしたら、どうだろうか。

私の総てを追い立てているものが、びっくりするほど幼稚で直情的な不幸感であることは、判明している。ちょうど私はオオカミの群れに山の頂上まで追い立てられていく山羊のようなもので、登ること自体は苦ではないけれども、山羊の足がかりを見たボルダリングの上手なオオカミたちは、能力以上の高みまで彼らをひっぱることに成功していて、なお、私を追い立てる。
山のてっぺんなんぞ、苔の一枚だって生えていない。滑落したら死ぬしかない。オオカミたちはそれを待っている。

あるいは、その「瀬戸際」のようなものがただの壁のらくがきのようなもので、実際の私はただの睡眠不足なのかもしれない。ただ、その区別が私にはどうもつかない。つかなくなってきている。

文学は、文芸は基本的に、弱い人間のものであると私は考えている。小学校に上がる前から物語のようなものを考えていた私にとっては、紙の上の世界は上手くいかない自分の現実から、いっとき自分を解放するものだった。
同時に、自分のお手本通りに行かない不器用な作法を誰がとがめるでもなく、反省して次につなげるためのきっかけであったように思える。
アスペとかADHDとか、知らん。実際に彼らと向き合った教育者たる身内から「お前はそれではない」とはっきり宣告されているから違うのだろう。けれども、こんなことでわざわざ自己補強せねばならない私は、果たして強いのだろうか。「生きるの向いてない族」なんではないだろうか。

それでも、身内の誰一人として、私がそこまで悩んでいることを認めようとしないのである。「掃いて捨てるほどいる悲劇のヒロインですか」っていう、お前のほうが掃いて捨てるほどいる凡表現の塊だと言いたくなるようなひとびとに。
私という人間は、よくよく、おめでたい容姿でもしているのだろうなあ。七福神の誰かであるかのように。

ああ、そう言えば七福神の乗る宝舟ってのは、あれは海の上ではたいへんな凶兆なのだ。人が死ぬ嵐の前兆とか、そういった類の。
宝舟に乗せられたのは本当は神じゃないんだろうな。きっと海の神様への生贄で、生きるの向いてなかった人々なんだろうな。でもそれじゃ呪いの舟になっちゃうから、あえて神様を乗せて描いてるんだろうな。


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Chiduru.Y.

Author:Chiduru.Y.
小説を書いています。
しばらく更新が途絶えていましたが、また肩の力を抜きつつぼちぼち書いていこうと思います。

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