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2016-01-15

アリはアリ、キリギリスはキリギリス

常夏の国のキリギリスは冬になって餌がなくなることがないとする。
それでもアリは毎日巣に餌をせっせと運んでいるのだろうし、それで満足するのだろう。
アリはキリギリスにはなれないし、キリギリスだってアリにはなれない。
けれども、それで十分に幸せなのだ。

昨日14日は、そんな風に感じた一日だった。
人は、自分に合った人としかつき合えない。理想はなんとでも言える。実際にそれができる人も何人もいるだろう。
でもそれが私とは限らない。
楽しい公園でボランティアをしていても、周りの人がよい人に見えている早い時間にさっと家に帰るべきなのだ。そして、家では本や好きな音楽を聴いて過ごす。そしてまた、余裕のできたときだけボランティアに行くがいい。表面などではなく、実際に本当によい人だってたくさんいるはずだ。
プライベートは、そのように「ある」ではなく「創りだす」べきなのではないか。

つくづく、思い知ったことだった。
旅の駅
2015-11-30

平成27年秋季創作枚数

投稿を再び行い始めた。
一旦、ほぼ停止状態で自分の趣味だけで書いていたが、あまりそれもよくないように思えたので、思い切って書けるだけ書いてしまおうと考えを切り替えたのだ。

今年の秋は公募投稿作のみで原稿用紙換算700枚と少し。
腰痛を引き起こすほどであって、流石に自宅に専用の机と椅子を入れようと思った次第。安くていいのが見つかるといいなあ。
普段は台所のテーブルにノートパソコンを持ち込んで、水槽の金魚に睨まれながらポチポチと打っていくスタイルだが、さすがに休日一日14、5時間座りっぱなしにはあんまり耐えられる環境ではないようだ。現在坐骨神経痛らしきものに悩まされて右脚が痛くて仕方がない。ネットで詳しく検索したらヘルニアの脅しすらある。勘弁してくださいうちは貧乏なので手術代なんかとても出せないです。

ちなみに、3か月で700枚というのはあんまり得意顔で胸を張れるものでもない。
ライトノベルを書く売れっ子作家など、完成原稿で1か月300枚など当たり前だし、ということは没稿もこれに上乗せされてまあ、合計で1000枚は突破するのだろうと思う。
勤め人とはいえ現在の私はフルタイムでもなく、まだ甘いのだろうと思う。
ただ2年ほど前は400枚の原稿を1年かかりきりで、しかもろくな結果にならなかったので、少なくとも姿勢に関してだけは「このまま普通に頑張っていたらいいんじゃない?」くらいの自己評価はできるかと。今は公募作に出すだけ出したのでエネルギーはほぼすっからかん、また地道に資料や好きな本でも読み漁る日が続くことだろうと思う。

世間では、本日漫画家の水木しげるが亡くなったり(非常にびっくりした。そろそろかとも思っていたがその半面120歳くらいまで悠々奇行を続けてお元気でいらっしゃるものだと思っていた。ネットでの死因公開もヤフー第一報では心筋梗塞、ついで多発性内臓疾患…だったか、さっきスマートフォンで引っかかったブログでは足滑らせて転んだとかなんとか、もう何をどこまで信じていいかわからないほど情報が錯綜している)、テロ厳戒態勢下のパリで温暖化対策会議が開かれ、市民がデモの代わりに各々の靴を置いてシューズデモを行ったりと慌ただしい。
特にシューズデモは、フランス市民というかパリっ子はどんな状況でも洒落っ気を忘れないところに芯の強さを感じる。ブーツに花を挿したり、文字を書いたり。いちいちカッコイイ。こういう部分が我が国にもほしいものだなあと、時々若い人のやっているイデオロギー活動を見て、なんとなく思ったりする、ノンイデオロギー世代(中年)のつぶやきなのである。いや、ノンイデオロギーなだけで本当に何も考えてないわけじゃないんですけどね、一応文字と取っ組み合うことに喜びを感じる身としては。
もっとも日本の若者の活動ってアジアの中では比較的クールなほうみたいなんですけどね、それでも。香港や台湾の騒ぎとか思い出してしまうと。
2015-11-01

ペットが欲しい

金魚を飼育している。
手のかからない、そして安価な金魚だ。たまたま知り合った若手の純文作家(プロ)も金魚好きな模様で、少しばかり話をしたことがある。
この方は、私とはまた違い、やや手間のかかる金魚を飼育していらしたらしい。楽しそうだった。

金魚は、そのくらい軽い気持ちで誰にでも飼える生き物である、と言える。同じ魚類でもアロワナ等は大きくなるし、水槽も2メートルくらいの幅のものを用意しなければならないので、賃貸ではとても飼えない。なんとかインテリアの体面が保てる金魚や小型の熱帯魚までが、我が住まいではギリギリの条件だろうか。

姉からいつぞや、ハムスターあたりを飼ってみては、とアドバイスを受けた。確かに彼らは分かりやすい騒音は立てない。が、犬猫と異なり齧歯類は糞便の自己管理ができない。
結局金魚に戻るのである。

もう何年も前から家人に、ペット可物件に移ろうと願い出ているのだが、今の物件は亡き義父が世話してくれたこともあり、簡単に移る気にはなれないらしい。
しかしながら夫婦二人だけということもあり、年々寂しさというものは出てきてしまう。
遠く離れて住む友人たちも段々と年を取ってきて、年賀状の行き来も途絶えたり、メールも途切れたりしがちになる。
自分の孤独な生き方は間違っているかどうかはわからないが、こんなことを書いていると通勤電車に、あてこするように年配者や中年の友達仲間連れがワイワイと乗り込んできそうな気がするので、黙りこまざるを得ない。

ただペットくらいは、居を移した時点でそのうち正式に飼いたいとは思う。犬になるか、猫になるか、両方になるかはまだ決めていない。
どうせひどく甘やかしてしまうのだろうが、寂しさには、代えられない。

2015-10-25

日々淡々と

掃除をしたり、花のカタログを見たり、エスプレッソを家族に振る舞ったり。

多分、比較的一人でも平気な私が今、珍しく友達をほしくなっているからだろうと思う。
2015-09-13

純文学の箱庭とそれに絡みつく嫉妬について

今年の夏、二つのニュースが文壇を駆け巡った。
一つは又吉イエス……否お笑い芸人の又吉氏の「火花」が芥川賞を受賞したこと。ご本人は芸人活動の片手間に書いた作品が受賞したことを隠さずに、今後とも芸人活動の合間に書いていくことを宣言しているとか、いないとか。
もう一つは昭和に名だたる少年犯罪としてお茶の間を震え上がらせた少年Aが手記を出版。手記は売れに売れ、この出版不況時に発売から二、三か月で二十五万部を記録したといわれている。彼はそれに飽き足らず、最近はホームページやブログまで開いて読者獲得に躍起になっているらしい。

文壇の決断と少年Aのナルシシズムは当然、ネット界でくすぶる文芸趣味のものにも、コンプレックス混じりに受け止められる。
「悔しい悔しい、ああ悔しい」と別段悔しくもなんともなさそうな人が棒読みでこの話題を何か月もやっているところを見ると、文芸の徒もなかなかに面倒くさい空気を吸って生きているのだなあと微妙な気分になる。
季節は秋になったので、そろそろ話題が村上春樹氏のノーベル賞受賞するかしないかに切り替わることだとは思うが、もはや他人ごととしか受け止められない。
むしろ、ネットのこういった醜聞や受賞に関する反応にちょっと飽きてきたというか「権力や富に対する嫉妬を隠さなくなった」下品さが、鼻についてきた、と言えないでもない。

この「権力や富への過剰な欲求」というのは、中間層が強いといわれる日本ではちょっとちぐはぐなものに見える。
少し前ワシントンで「1%の人々が富を独占し99%の人が貧しい生活を強いられている」という論理が感情的な声援でもって迎えられた。アメリカは日本より進んだ資本主義の国なのでさもありなんとも思うが、そうでなくとも世界の大半の国ではやはり、一部の人間が富や権力を独占し、その他大勢は貧しい生活を強いられているケースがあるのではないか。そして私には、インターネットの発展とともにそういった海外の「99%の貧しい人々」の目を日本のネット界が神経質に気にしているようにしか見えないのである。
無論、日本にも不況というものはあり、年齢層による不当な収入格差もいろいろと取沙汰されているのが現状といえば現状である。
しかしながら問題はそれだけではない。
例えば今の若者は少なくとも、知識だけなら過去のいかなる時代の若者よりも平均してさまざまなものを覚える機会に恵まれており、実際にかなりいろんなことを知っている。だから「権力や富への過剰な欲求」というのがどんな結果を引き起こすかよくよく知っているはずなのである。そんなものをむやみやたらに求めたら最後には自爆して潰える。
またある程度年のいったものも、年の功によりそれほど権力や富を望んではいないはずである。
しかし実際はだんだんと、この欲求が激しくなっているように思える。自分にそれを求める権利がないとはっきりわかったら、まだ可能性がある人間を潰そうと奔走するものも増えた。私も今までに何度か大きな被害にも遭っているし、今でも継続している部分もある。
そういう、嫌らしい人間が多くなってしまったのはどうもやはり海外の「99%の人々」の視線を気にしているからではないか、と私は思うのである。

文芸、とりわけ純文学というのはそちらに在籍するものには文化人としての側面もあり、ただでさえ人々からは羨望のまなざしで見られる。誰でも知っている純文学作家の新作ですら、10万部売れたら大ヒットと言われるほど市場が縮小しているのにも拘らず。
作家志望の人々がここ何年かでかなり増えているように見受けられる。大半は口だけ志望なのであり、小説など完成させることはおろか一文字も書いていないのだろうが、こんな具合だから名乗ることによって少し偉くなった人間のように見えるのかもしれない。「自分は作家になるほど頭がよく、才能に満ち溢れた選ばれた人間なんだぞ、本当は」と、そんな人は言いたいのであろう。
プロの実際の創作活動というものは、まじめにやればやるほどストレスがたまり、地味で、言いたいことが制限され、下げたくもない頭を下げ、泣き寝入りも多い「つまらない」仕事である、というのをほうぼうの作家が嘆いているのは、ネットをあちこち見ている人なら理解できることと思う。しかも作家と一口に言っても収入が高いのは一握り、名前が売れているのも一握りである。
私のように、アマチュアの段階でほうぼうで創作活動の妨害をされるような人間も少なくないと思う。妨害者にとっては私はおそらく彼らにとっての「何か」がないのだろうと思う。彼らの妨害行為の原動力は何かというと私には彼らが手にすることのない「権力や富への過剰な欲求」というのではないか、とも思うのだが、別段私は彼らが妬むほどそこまで大それた人間でもないし、どこでどのように私という人間の存在がゆがめられたのか、気になってはいる。いるけれども誰も責任を持って答えてくれないので、仕方なく無視を決め込むしかないのである。
まあいずれ、こういった我儘な人々も何らかの理解の果てに去るようにはなるのだろうし、そういった誤解が解けるまで、私はしばらく重たい荷物の多い純文学とは距離をおいた付き合いを心掛けるようにしている。このしばらくが、そのうちずっとになるかもしれぬ。分からん。いつか帰るとは宣言しているが、そのいつかはちょっと不明である。既に長編は休止に入ったし、煽られても今は書く気はありませんよ。理解するように。
プロフィール

Chiduru.Y.

Author:Chiduru.Y.
小説を書いています。
しばらく更新が途絶えていましたが、また肩の力を抜きつつぼちぼち書いていこうと思います。

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